サント=シャペル : Sainte-Chapelle

18 janv. 2021

Sainte-Chapelle サント=シャペル


8, boulevard du Palais, 75001 Paris.
Construction au milieu du XIIIe siècle : gothique flamboyant.
1797 : transformation partielle en dépôt d'archives du palais de justice.
1836-1863 : grande restauration : Félix Duban, Jean-Baptiste Lassus et Émile Boeswillwald : néogothique.

パレ大通り8番地、パリ1区
13世紀半ばの建造:ゴシック様式
1797年:裁判所文書保存室に一部用途変更
1836-1863年:大規模修復:フェリックス・デュバン、ジャン=バティスト・ラスュ、エミール・ブスウィルワルト:ネオゴシック様式

Sainte-Chapelle サント=シャペル

信仰心に篤く聖ルイとして聖別されもしたフランス王、ルイ9世の命によって建てられた礼拝堂。彼が購入した聖遺物を祀って保管する目的で造らせた建築です。聖遺物の中でも特に高額だったのはキリストの荊の冠で、その購入費用はサント=シャペル建造費のおよそ3倍だったとか。

上述の荊の冠以外にサント=シャペルに収められていた聖遺物の細目は、キリストが磔になった十字架の木片、キリストを打ち付けた釘、キリストの血、キリストの遺骸をくるんだ布片、聖母マリアの乳、聖母マリアの髪・・・などなど。これらの聖遺物は残念ながらフランス革命中に散逸してしまったり、サン=ドニ大聖堂に移されたりパリ・ノートルダム大聖堂の保護管理下になったりしました。そのため現在はこのサント=シャペルに残されている聖遺物は何もなく、それらを収めていた建築だけが残ったという格好になりました。

フランス革命中に建物の一部は文書保管庫になったりしてぞんざいな扱いを受け荒廃した状態となっていました。けれども、『ノートルダム・ド・パリ』を著したヴィクトル・ユゴーや、作家であり歴史遺産監察官でもあったプロスペル・メリメなどのはたらきで中世の歴史的建造物の価値再評価の機運が高まっていた19世紀前半に、大規模修復が行われます。この修復事業はパリ・ノートルダム大聖堂の修復と並んで、19世紀半ばフランスのゴシック復権の先鞭をつけるものでした。

いまある屋根の上の鐘楼も、19世紀の修復の際に造り直されたものです。大規模修復を指揮したのはフェリックス・デュバン、ジャン=バティスト・ラスュ、エミール・ブスウィルワルト。3人とも当時主流であった新古典主義の意匠よりも中世ゴシック建築の構造的合理性に興味を示した建築家でした。デュバンはエコール・デ・ボザールでアンリ・ラブルーストの同僚、あとの2人はラブルーストの教え子だったので、非-新古典主義的な新しい建築思想は彼らの間で共有されていたのでしょう。

入口付近のゴシック的意匠もそのほとんどが19世紀に修復されたもの。

ボザールの彫刻師や学生たちの手による、非常に精巧な彫刻仕事。

サント=シャペルは2層に分かれていて、下の部分は王宮使用人や官吏たちのための礼拝堂になっていました。

あざやかでうつくしい色彩は、ブスウィルワルトによって復元、というよりほとんど創作されたもののようです。それまでの壁面色は1690年の洪水で損害を被った以後、白く塗られていたとのこと。

リブ・ヴォールトや柱頭も金色で色あざやか。柱頭がドーリア式、イオニア式、コリント式のいずれでもないところにも、非-新古典主義的な精神が感じられます。

上層部は王族のための礼拝堂で、こちらはもう説明不要な、圧巻のステンドグラスに囲まれています。

バラ窓も言語を絶する水準のうつくしさ。うつくしすぎて、カメラのピントが合っていないことにも気付きませんでした。

聖遺物を祀っていた天蓋付き祭壇。聖遺物を収めていたガラス製の箱は革命期に「溶かされてしまった」(!)そうなのですが、この祭壇はサン=ドニ大聖堂に移されていたために難を逃れたそうです。それにしても、フランス革命の野蛮な側面には驚かされるばかり。

破壊こそ免れたものの、この祭壇もそれなりの損害を被っていたので修復はかなりの大仕事だったようです。元の状態を伝える資料も少なかったため、意匠の復元はデュバンやラスュたちの想像によるところも多かったとのこと。

三つ葉装飾や尖塔アーチが多用された、ゴシックな装飾。

彩色された石材の床も見事。中世芸術やキリスト教史の専門家であり図案家、修復家でもあったオーギュスト・ステネイルが構想し、ラスュがデッサンした図案を、ブスウィルワルトが実現させたものだそうです。石の表面を彫ってそこに彩色したパテを埋め込んで製作されました。

Références

Autre travail de Jean-Baptiste Lassus : ジャン=バティスト・ラスュの他の仕事

Photos prises en mars 2016.
2016年3月撮影