唐招提寺 : Tōshōdai-ji

8 oct. 2025


13-46, Gojō-chō, Nara-shi, Nara-ken, Japon.
VIIIe siècle : construction de Kyō-zō.
VIIIe siècle : construction de Hō-zō.
Deuxième moitié du VIIIe siècle : construction de Kon-dō.
Deuxième moitié du VIIIe siècle : déplacement d'un immeuble de Heijō-kyū et conversion en Kō-dō.
1240 : construction de Ko-rō.
1283 : conversion de l'ancien sō-bō en Rai-dō.
1881 : déplacement de l'ancien sanctuaire consacré aux Tokugawas et conversion en Kaizan-dō.
1960 : construction de Nandai-mon.
1964 : déplacement de l'ancien Shin-den de Ichijō-in et conversion en Miei-dō.

奈良県奈良市五条町13-46
8世紀:経蔵の建立
8世紀:宝蔵の建立
8世紀後半:金堂の建立
8世紀後半:平城宮東朝集殿の移築、講堂への用途変更
1240年:鼓楼の建立
1283年:僧房を礼堂に用途変更、改築
1881年:旧徳川家御霊殿の移築、開山堂として転用
1960年:南大門の建立
1964年:旧一乗院宸殿の移築復元、御影堂として転用

奈良市の五条町にある、律宗の総本山であるお寺。律宗は中国唐代の僧侶、道宣が成立させ、8世紀後半に鑑真によって日本にもたらされた仏教の一宗派です。上の写真は、お寺の敷地の入口に建つ南大門。南大門の建設は比較的新しく、1960年に完成しました。

門を敷地内から振り返って見たところ。桁行5間の横に長い、堂々たる門構えです。

境内に足を踏み入れてすぐ、真正面に見えるのが金堂。上の写真は、後ろ寄り側面から見た図。真正面からの写真は本記事の最初に載せてあります。

御堂の正面に8本の円柱が並び立つ、整然とした佇まいが非常に印象的でした。迫力はあるのですが威圧感はなく、参詣人を静かに迎え入れるといった雰囲気。御本尊に盧舎那仏坐像、その両脇に薬師如来立像と千手観音立像が、主に安置されています。

キリスト教の教会にしばしば見られる柱廊玄関を想起させるおもむきもあるように思われました。なお、金堂の部材に使われている木材を調査した結果、その一部は781年に切り出されたものであったことが判明したようです。1000年以上も前の木材が今もなお使用されているとはびっくり。

金堂のうしろにあるのが講堂。もとは、唐招提寺からもほど近い平城宮の東朝集殿として使用されていた建物で、760年に、平城宮の改修にともなって移築されたそうです。

唐招提寺は建築の各要素の構成比率が絶妙にうつくしい建物ばかりで、ほんとうに眼福でした。うつくしい建築を見ながら境内を散策しているとこころが洗われてゆくように感じられました。何度でも訪れたい名刹です。

向かい合う金堂と講堂との間に位置するのが、鼓楼。

建物単体における要素間の構成比率の妙もさることながら、建物同士の配置も絶妙であるように思われました。すべてが収まるところにぴたっと収まっていて、境内が完璧に完成されたひとつの宇宙であるようにさえ感じられました。

鼓楼は鎌倉期、1240年に建造。鑑真が請来した仏舎利が収められています。

鼓楼の東隣にあるのが、僧房を1283年に改築してできた礼堂。鼓楼にある仏舎利を礼拝するための堂であるので礼堂と呼ばれています。

桁行19間の長い建物の中央部に、通路(馬通)が設けられています。まあたしかに、これだけ長い建物だと迂回して向こう側に行くのめんどくさいから真ん中を突っ切りたい・・・みたいなことを、仏門の方々も思ったりするのだろうか。

うつくしき細部。

西側の屋根は軒が一直線であるのに対し、東側は少し突出した箇所があって形が変わっています。なお、金堂と講堂の並びを軸にして、礼堂と左右対称になる位置には僧房があったのですが現在では残念なことに失われています。

礼堂のさらに東にある校倉の高床式倉庫が、経蔵。日本最古の校倉造として価値の高い建物で、歴史の教科書で知ったひとも多いのではないでしょうか。わたくしもそのひとり。

建物は元は新田部親王(にいたべしんのう)邸の米倉であったそうです。唐招提寺は新田部親王邸の跡地を朝廷から譲り受けて整備された寺院であるため、このような由来となっています。

経蔵と並んで建ち、奥にあるのが宝蔵。経蔵と同じく校倉、寄棟造の高床式収蔵庫となっております。

建造年は経蔵よりも少し新しいですが、同じく8世紀造であるといわれています。

こちらは礼堂の北側にある開山堂、の、南側にある門。なお、開山堂はもとは徳川家歴代の霊を祀る建物でしたが、1881年にこの場所に移築されてからは鑑真和上坐像を安置する御堂として使われました。その後1964年、開山堂のさらに北に御影堂が移築整備されると鑑真和上像はそちらに移され、開山堂にはその身代わりの像、御影像が安置されるようになりました。

この、隅棟のところに ぺちょっ と付いているのはなんだろうと思ってあとで調べてみたら、留蓋瓦(とめぶたがわら)というものらしいです。屋根の防水排水処理や瓦の重しなどの機能のほかに、装飾としての役割も併せ持っている部材であるようです。知りませんでした。動物や植物など色々なモチーフのものがあるとのことですが、これは蓮の実をひっくり返したものかしら。

南大門の東側には、弁天様を祀る弁天社もあります。境内の隅にひっそりと佇んでいるのですがこちらも精巧で見事な造り。

Références

Photos prises en mars 2022.
2022年3月撮影