サン ピエトロ広場 : Place Saint-Pierre

23 févr. 2020

Place Saint-Pierre サン・ピエトロ広場


Place Saint-Pierre, 00120, Cité du Vatican.
1656-1667 : Gian Lorenzo Bernini : Baroque.
1936-1950 : Ouverture de la Voie de la Consolation.

サン・ピエトロ広場、ヴァチカン市国
1656-1667年:ジアン・ロレンツォ・ベルニーニ:バロック様式
1936-1950年:コンチリアツィオーネ通りの開発

Place Saint-Pierre サン・ピエトロ広場

Place Saint-Pierre サン・ピエトロ広場

カトリック総本山、サン=ピエトロ大聖堂の東側に位置する壮大な広場。ローマ教皇アレクサンデル7世がベルニーニに命じて計画させたものです。台形部分(大聖堂に近い側)と楕円形部分から構成された広場で、大勢のキリスト者たちを両腕で包み込むようなイメージで設計されたとのこと。教会やそれにかかわる空間を人体になぞらえる発想はキリスト教によく見られますが、この広場もそれの一派生形態であるように思います。

Place Saint-Pierre サン・ピエトロ広場

広大な楕円形広場を経て台形がすぼまる先に大聖堂を配置することで、聖堂の迫力と威厳がより一層増して見える。ベルニーニの巧みな視覚的演出に感嘆するばかり。じつはベルニーニの計画では広場の東端は空間として閉じられるはずだったらしいのですが、施主アレクサンデル7世の死により頓挫。その250年後くらいには逆に、コンチリアツィオーネ通りが広場を大きく開く形で設けられます。これはこれで、大聖堂に至る道のりが参道のようになって良かった気もしますが、ベルニーニ計画の完成形も見てみたかったです。ちなみにコンチリアツィオーネ通り敷設の先鞭をつけたのはムッソリーニ。

圧巻の光景。最大でおよそ300,000人(3万人ではないです)が集まれる広さなのだとか。

Obélisque du Vatican ヴァチカンのオベリスク

中央部のオベリスクは、ローマ皇帝カリギュラ(在位37-41年)がエジプトから持ってこさせたもの。オベリスクが現在のこの位置に移されたのは、1586年、教皇シクストゥス5世の頃。ベルニーニがこの広場を整備する前からここにあったんですね。このオベリスクが移設された場所が、言い伝えによると、使徒ペトロが十字架にかけられて殉教したところであるとのこと。

広場の北側に位置する噴水は、カルロ・マデルノによって1615年に造られたもの。

楕円形広場を囲う柱は全部で372本!素材はローマ近郊のティヴォリ産のトラヴァーティン。上部の彫像は全140体で、ベルニーニの弟子たちによって1670-1703年にかけてつくられたのだそう。大仕事。

背後にちらっと見える建物は教皇の住居、ヴァチカン宮殿なのですが、彫像たちがこの宮殿を守護しているようにも見える。

列柱のあいだ。閉鎖空間ではないのに、なにか建物のなかにいるかのような不思議な感じがしました。

広場の外側。このへんは観光客を狙った詐欺師っぽい輩が多く徘徊していて、あんまり気を抜いて歩けなかったです。なんとかならんものか・・・。

Références

  • Francesca Prina et Elena Demartini, Petite Encyclopédie de l'architecture, traduit par Annie Guillemin, Éditions Solar, 2006, p. 182.
  • « La Piazza », le site de Stato della Città del Vaticano. [It]
  • « Place Saint-Pierre », le site Rome – Roma : Culture & Voyage.
  • « Place Saint-Pierre », Wikipédia.

Autre travail de Gian Lorenzo Bernini : ジアン・ロレンツォ・ベルニーニの他の建築

Photos prises en mai 2016.
2016年5月年月撮影